日記

およそ2ヶ月ぶりに実家へ帰省すると、

家は見慣れた様子に散らかされていた。

 

洗い物が溜まったシンクを見て、

それから僕の部屋の冷蔵庫と同じほどしか

食品の入っていない冷蔵庫を見て、

そして、おそらくこのところ忙しくしているのだろう、

遅くまで帰って来そうにない様子の母のことを考えて、

夕飯を作る準備を始めた。

 

とはいえ自分で買ったIHでしか料理をしない僕は

火を使う調理は難しいのだと言うことを

黒焦げになったかぼちゃを見て思い知らされた。

 

結局ご飯を炊いてカレーを作って食べた。

 

僕は実家にいたときから常々

甘口のカレーのほうがおいしいと主張していたのだが、

家族の誰の同意も得られることはなかった。

 

こうして僕がキッチンの主導権を握って初めて

僕の実家に甘口のカレーが登場したのだ。

 

母は微妙な表情でその甘口カレーを食べていた。

 

 

たぶん誰にとっても実家は退屈で

手持ち無沙汰になるとお定まりのことだろう。

 

僕も今朝から、

やろうと思っていたことはいくつかあるのだけど、

それでもなんとなく手癖のように

アプリで男を漁っていた。


半ば冗談でしゃぶらせてくれませんかとメッセージを送った

20歳の大学生から、いいですよと返事が来てしまった。

 

今から待ち合わせ場所に向かう。

 

カバンの中から余った甘口カレーのルウと

ローションの蓋がのぞいている。

 

カクコト

小学生の頃から変わらない。

文章を書くのは苦手だ。

 

夏休みの読書感想文はもちろん8月31日にやる。

課外授業の感想文などが求められれば必ず、

教室でひとり“残業”したものだ。

いつまで経ってもその癖というか性質は

変わることがない。

 

だけど、文章を書くのは嫌いじゃないんだ。

 

いや、最初のうちは嫌いだったのかもしれない。

嫌いではないと思うようになったのは、

多分中学2年かそこらのときだ。

 

 題材は読書感想文だったか、なんだったか、

忘れてしまったけど、

とにかくなにかしらの作文をして、提出した。

 

すると国語科の先生で担任だった若い女の先生から、

クラスの代表だか学年の代表だかで

作文コンテストみたいなものに出品すると告げられたんだ。

ほんと詳細はすべて記憶の彼方なんだけど、

とにかくそういうことがあった。

 

苦手意識があったからなおさらだったかもしれない。

嬉しかった。

 

たぶんその時から、苦手意識は依然として持ちながらも、

書くことが嫌いではなくなったんだと思う。

 

作文に関しては高校に上がってからも

人に褒められたことが2度あって、

だから僕は「書くこと」なしで自分は成り立たないと

思い込むようになった。

 

好きなものとか得意なことって、

そう思うようになった理由はみんな、

「あの時あの人に褒められたから」

なんじゃないかと思うんだよね。

 

いつ誰に言われることが、

大なり小なり人生の節目になるとも限らない。

だから僕は、あの時褒めてくれた人たちに感謝して、

ってそんなキザったらしいこと言うつもりはないけど、

できるだけ人の良いところを見つけたら

褒めるようにしたいなと思う。

 

そうやってその人の心の片隅で

生き続けることができたら、

世界になんにも残すことができない

非力でちっぽけな僕としても

生きてる意味があるってもんだ、

そう思うから。

 

書き始めに書こうと思ってたことと

だいぶ違う締めになったけど、まあいいや。

元島モト様

拝啓 

 

 暑さも盛りを迎えました今日この頃、元島様におかれましては益々ご健勝のこととお慶び申し上げます。

 

 さて、この度は元島様にひとつご相談申し上げたいことがございまして筆を執りました次第にございます。

 実は先日、勤務先の上司と労働時間管理の問題で揉める事件がありまして、それ以来当の上司との折り合いが悪く、職場で顔を合わせるたびに気分が落ち込むのです。互いに挨拶を交わすこともなくなり、交わす言葉といえば、業務上どうしても必要な連絡事項のみとなりました。時にはそれすら人伝に聞かされることもあります。

 近頃はプライベートでもそのことについてあれこれ思い悩む時間も多く、せっかくの休日も無為に過ごしてしまいがちになります。

 私がここまでひとつの人間関係に思い悩むには理由があります。何を隠そう、このような事態に陥ったのは今回が初めてではないのです。

 今の職場にきてからちょうど半年が経とうとしていますが、前の職場でも同じように上司との関係に悩みだしたのが半年くらいだったかと記憶しています。さらに以前の職場でも同様のことがありました。

 そのことを考えるたびに、私はなんてダメな人間なのだろうと情けなくなります。ここまで同じようなことが続くと、もはやその原因は自分にあるとしか考えようがないです。

 自分の悪いところを考えてもみますが、こうも繰り返すのだと今後も大きく変わるということはないだろうと思います。もちろん自分なりに努力はしているつもりなのですが、どこかで油断してしまうのですね。あるいは、疲れてしまう。続かないのです。人間関係構築に対する努力が。

 私は向いていないと思うのです。人と関係を築くことに。世間ではこのような人間をダメな人間、クズ、様々な言葉で蔑み軽んじています。私はそのような人間なのでしょうか?

 確かに自分を上等な人間だとは思いません。あらゆる努力は長続きせず、感情に流されてしまうことも多いです。それでもこれまで、人並み以上の努力をしよう、決して現状に甘んじることなく、常に変化を求めて行こう、そう思って行動してきたつもりです。その小さな努力はなんの価値もないものなのでしょうか?それでも私はクズ呼ばわりされねばならないのでしょうか?

 

 長く、暗い文章で申し訳ありません。コンサルタントとして人生相談を多く手がけていらっしゃる元島様に、ぜひともご助言頂戴したいと思い失礼いたしました。何卒お返事くださいますよう心よりお願い申し上げます。

 

 それでは、暑さが続きますのでどうかご自愛ください。       

                                    敬具

  7月26日                             

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